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鹿児島地方裁判所 昭和50年(ワ)398号 判決 1987年3月27日

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

井之脇寿一

被告

乙山二郎

右訴訟代理人弁護士

和田久

主文

一  被告は原告に対し、金九八〇万七八二〇円及びこれに対する昭和五〇年一二月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その八を被告の、その余を原告の各負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は原告に対し、金一二五七万六〇四一円及びこれに対する昭和五〇年一二月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  医療事故の発生

原告は、左右上眼瞼下垂(上瞼挙筋または上瞼板筋の麻痺によつて起こる上眼瞼の挙上不全)の疾病を治療するため、昭和五〇年一月二二日被告の経営する乙山眼科医院に入院し、同月二九日被告の執刀により左眼瞼の手術を受けたが、右手術の際または手術後において、原告の左眼に緑膿菌が感染し、これにより原告は、緑膿菌性角膜潰瘍を発症して失明の危機に陥つた。そこで被告は、同年二月一七日鹿児島大学医学部付属病院に原告の治療を依頼し、翌同月一八日午前九時半、原告を同病院に転院させ治療を受けさせたが、原告の左眼は治療の効なく失明し、角膜が白色状を呈するに至つた。

2  被告の責任原因

原告は、前記上眼瞼下垂手術を受けた当時満三〇歳の健康な女性であり、他に疾病を有していなかつた。また左右上眼瞼下垂に罹患していても、視力や他の身体の運動機能に何らの障害があるわけのものではなく、単に外見上目が細く見えるに過ぎないものであつた。また、これを治癒するための手術も特段難しいものではなく、むしろ手術一般の中では容易な方に属する。

ところで、眼瞼下垂手術を施行すると角膜を長時間露出するため兎眼性角膜炎を起こし、緑膿菌などの細菌が感染しやすくなるうえ、一旦これが感染すると早期に角膜潰瘍を起こして失明に至る危険性がきわめて高いものであるから、被告は、眼科の専門医として、右手術の施行に際し、このことに意を用い、原告の角膜への緑膿菌等の感染に対し十分な予防措置を採るとともに、一旦これらが感染した場合には早期にその病状の進行を阻止するため、強力な抗生剤の投与を十分に行うべき注意義務があつたというべきである。

しかるに被告は、右注意義務を怠り、緑膿菌の感染に対し不十分な予防措置しか採らなかつたうえ、その感染後も、その症状が緑膿菌感染によることに気付かなかつたため、病状の進行を阻止するために有効な治療措置を全く採らずにこれを放置し、よつて原告の左眼を失明するに至らせたものである。

したがつて、原告の失明は、被告の診療契約上の債務不履行によるものであり、また被告の不法行為に基づくものであるから、被告は、原告の被つた後記の損害を賠償すべき責任がある。

3  損害

(一) 逸失利益 八五七万六〇四一円

左眼失明は、労働基準法施行規則別表第二所定の身体障害第八級(自動車損害賠償保障法施行令別表所定の後遺障害第八級)に該当し、労働能力喪失率は四五パーセントである。

原告の月平均収入は、七万七〇〇〇円であり、本件医療事故当時の年齢は満三〇歳で就労可能年数は三七年、これに対するホフマン係数は、二〇・六二五四であるから、原告の逸失利益を計算すると八五七万六〇四一円となる。

計算式 七万七〇〇〇円×一二月×〇・四五×二〇・六二五四=八五七万六〇四一円

(二) 慰藉料 四〇〇万円

本件医療事故により、原告の左眼は失明したばかりでなく、角膜が白色となつて醜状を呈しており、そのため原告は恥しさと人に不快感を与えないため常に眼帯をかけていなければならないこと等諸般の事情を考慮すると、原告の慰藉料額は、四〇〇万円とするのが相当である。

4  よつて、原告は被告に対し、不法行為または債務不履行に基づく損害賠償として、計一二五七万六〇四一円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五〇年一二月二八日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求の原因に対する答弁及び主張

(答弁)

1 請求の原因1の事実は認める。

2 同2の主張は争う。

3 同3の事実は知らない。

(主張)

1 原告に対する治療の経過

(一) 被告は、昭和五〇年一月一六日高度の左右上眼瞼下垂の治療のため来診した原告から手術の希望を受けたので、検査したところ、血圧が最高九六ミリメートルHg、最低七五ミリメートルHg、脈膊八五、体温三六・七度、尿が糖分、蛋白分ともマイナスであつたので手術適応と認めて、同月二二日原告を入院させた。

(二) 被告は、翌二三日右上眼瞼の手術を施行し、局部麻酔後右上眼瞼を切開し眼瞼板剥離に取りかかつたところ、急に原告が心臓部の痛み及び嘔吐感を訴えたので、ひとまず手術を中止した。そして、被告は、同月二九日に至り前記症状が改善されたと認め、今度は左眼瞼の手術を施行したが、一般に術後は兎眼状態になり、このため角膜乾燥による角膜炎を起こすのが通例であり、原告もこの例に漏れなかつたので、手術後からずつと継続してエコリシンの点眼、テトラサイクリン眼軟膏の塗布を行つた。なお、被告は、右手術及びその後の治療に際しては医療器具をすべて煮沸消毒し、ガーゼ、包帯等は滅菌消毒したものを用いるなど細菌感染については万全の注意を払い、緑膿菌に汚染されやすいとされているフォルレスチン液やクロラムフェニコールは点眼に用いていない。

(三) ところが、同年二月一一日頃から原告の左眼は眼脂多量となり、角膜に膿汁が付着し、角膜潰瘍の症状が悪化したので、被告は、ペニシリンその他の抗生物質及び副腎皮質ホルモンを使用し、治療に務めたが、なお症状が悪化するので、特異の病原体感染を懸念し、同月一四日原告の眼脂を鹿児島市医師会臨床検査センター(以下「臨床検査センター」という。)に送付してその塗抹検査と培養による検査を依頼したところ、同月一七日に至り、緑膿菌が培養検出された旨の報告があつたため、初めて原告の右症状の悪化が緑膿菌感染によるものであることを確認し、直ちに緑膿菌に特効があるとされるパニマイシン、ゲンタマイシンの筋肉注射、カネドマイシン点眼液の頻回点眼などによる治療を行うとともに、鹿児島大学医学部付属病院に原告の診察、治療を依頼し、翌一八日原告を同病院に転院させて治療を受けさせた。

2 被告の責任について

(一) 緑膿菌は、土壌、下水、人の粘膜(口中、腸管、唾液等)、皮膚など自然界に広く分布するグラム陰性桿菌であつて、産生する色素は緑色が有名であるが、それのみでなく赤色、褐色、黄色、無色など種々のものがある。また、感染経路は殆んどが接触感染であるが、元来病原性は弱毒で、健康人が感染することはなく、人に対する感染は宿主側の条件が大きく作用するものであり、何らかの原因で全身衰弱または局所の条件が悪いときに感染するものであつて、感染後一ないし三日で発症するといわれている。このように、緑膿菌は元来弱毒菌ともいうべき細菌であつたが、抗生物質使用の増加に伴い菌交代現象として注目されだしたものである。

(二) 被告は、原告を手術するに際して、前記のとおり、医療器具等の消毒については万全の注意を払つていたものであつて、当時被告の医院には相当数の外来患者及び入院患者がいたにもかかわらず、原告以外に緑膿菌感染者がいなかつた事実は被告の医院における医療器具等の消毒が完全で緑膿菌により汚染されていなかつたことの証左である。ところが、前記緑膿菌の分布状態からすれば、このように被告が医療器具等の消毒その他の院内管理に万全の注意を払つても、原告に緑膿菌が感染することは十分あり得るのであつて、そのこと自体は不可抗力というほかない。

また、細菌による角膜感染としては、元来緑膿菌は前記のとおり弱毒菌でこれによる角膜感染は極めて稀であり、一般的には黄色ぶどう球菌による感染が殆んどであるとされている。したがつて、点眼剤、軟膏としては黄色ぶどう球菌のみならず緑膿菌にも有効とされる前記のエコリシンの点眼及びテトラサイクリン眼軟膏の塗布を行つているのであるから、本件当時における緑膿菌感染の防止措置としては一般的にはそれで十分であり、一般の眼科開業医はそれ以上に対緑膿菌用抗生剤の全身もしくは局所投与を行うことはなかつた。

(三) 前記1(三)のとおり、二月一一日に至り原告の左眼は眼脂多量となり角膜に膿汁が付着するという症状を呈したものであつて、結果的にはこの時期に角膜潰瘍が発症し、緑膿菌の感染時期は早くともその三日前の二月八日頃と思われるが、しかし、右に述べたとおり、緑膿菌による術後の角膜感染は極めて稀であつて、黄色ぶどう球菌による角膜感染が一般的であつた本件当時においては、平均的眼科開業医である被告が二月一一日の角膜潰瘍発症時点及びその後においてもまず黄色ぶどう球菌による感染を疑い、専らこれに対する抗生剤を選択使用したのは当然であつて、被告には過失はない。

(四) ところで、緑膿菌による角膜感染後視力を回復し得るのは、いまだ緑膿菌の角膜感染に特有の輪状膿瘍が出現せず、前房蓄膿になつていない場合に限られるうえ、一般に緑膿菌による角膜感染の場合は早期に角膜浸潤が起こつて速やかに全角膜層に広がり潰瘍化するとともに、大部分のものが前房蓄膿を伴い輪状膿瘍の形をとり、経過が急激なことが本症の特徴である。

本件の場合、二月七日に角膜混濁も軽快し経過良好であつたのに、突如同月一一日に角膜潰瘍の症状を呈していること、エコリシン点眼、テトラサイクリン眼軟膏の塗布等緑膿菌感染の防止措置にかかわらず発症した強毒菌であつたことなどからして、原告の場合非常に急速に輪状膿瘍になつて急激に穿孔するという経過を辿つたものと思われ、同月一一日の角膜潰瘍発症後急速に前房蓄膿を伴い輪状膿瘍の形をとつていたものと思われる。そうすると、同月一三日ないし一四日の頃には既に前房蓄膿、輪状膿瘍が出現していたものであるから、仮に同月一一日の時点で被告が直ちに臨床検査センターに検査を依頼し、同月一四、一五日頃に緑膿菌が検出されてこれに有効な抗生剤を使用し、あるいは黄色ぶどう球菌に対する対症療法で症状の改善が認められなかつた同月一三、四日頃から緑膿菌に有効な抗生剤を投与したとしても、原告の視力回復は期待し得ず、失明は免れなかつたものである。

したがつて、被告が二月一一日の時点で直ちに細菌検査を依頼しなかつたこと、あるいは同月一三ないし一四日の時点で緑膿菌感染を疑つてその対症療法をとらなかつたことに仮に過失があるとしても、右過失と原告の失明との間に因果関係はない。

第三  証拠関係<省略>

理由

一本件医療事故の発生

請求の原因1の事実は当事者間に争いがない。

二原告の病状及び被告の原告に対する治療の経過

<証拠>によれば次の各事実が認められ、原告本人尋問の結果(第一、二回)のうち右認定に副わない部分は採用できず、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

1  原告は、幼少時から高度の左右眼瞼下垂という疾病に罹患しており、視力等には異常がなかつたものの、視野が狭く、また美容上も好ましくなかつたので、これを治療すべく、昭和五〇年一月一六日被告の経営する乙山眼科医院に赴きその診察を受けた。被告は、原告を診察した結果、視力は左右両眼とも一・二であつたが、慢性結膜炎のほか、左右上眼瞼下垂の症状がかなり重く、先天性のものでもあつたので、その矯正のために手術の必要があると考え、原告にその旨を告げてその了承を得たうえ、体温、脈膊、血圧、尿の各検査を施したがいずれも異常がなく、かつ他に既応症もなかつたことから、同月二二日原告を同医院に入院させ、翌二三日まず右眼瞼の手術を施行した。

なお、被告はそれまで六例位眼瞼下垂手術の経験を有していた。

2  被告は、原告を手術するに先立ち、手術に使用する器材、ガーゼ、綿類、手術衣、患者用敷布、用意薬品をすべて煮沸あるいは高圧蒸気消毒法により十分消毒し、自ら及び助手を命じた二名の准看護婦は煮沸消毒済みの歯刷子を用い、オスバン石鹸液で消毒したうえ、更に原告の手術部位である瞼、眉毛及び前頭部を前同様の歯刷子を用いてオスバン石鹸液で洗滌消毒した。そこで被告は、原告の右眼瞼手術に着手し、眼瞼を切開して瞼板剥離に取りかかつたところ、急に原告が胸部苦悶を訴え、脈膊が微弱になつたので、直ちに手術を中止し、強心剤のほか止血剤、鎮痛剤及び化膿止めを注射した。

3  被告は、その後原告に強壮剤(ブドウ糖)や強心剤を投与して経過をみたが、やがて原告の健康状態も回復したので(血圧最高一〇二ミリメートルHg、最低六〇ミリメートルHg、脈膊七六、体温三六・五度)、同月二九日、今度は左眼瞼の手術を施行することにし、手術前に止血剤を投与するとともに前同様の消毒措置をとつたうえ、同日午前一一時三〇分手術を開始した。

被告が行つた手術の内容は、まず原告の左眼縁を切開し、上眼瞼の下側(眼縁の皮下から眉毛下まで)を剥離して上眼瞼挙筋と眼板筋を前頭部に固定し、もつて上眼瞼を挙上するというものであつたが、手術そのものは順調に進み、開始後一時間三〇分を経過した同日午後一時に終了した。

4  被告は、手術後、手術創痕に煮沸消毒ずみのワゼリン軟膏を塗布し、滅菌ガーゼをあて眼帯をかけさせたうえ、強壮強心剤(二〇パーセントブドウ糖、アリナミン、ネイフイリン)のほか、消炎感染防止のためリンコシン、消炎鎮痛のためデキサシエロソンをそれぞれ注射し、消炎及び感染防止のためエリスロマイシン、プレトニゾロン及びアメランドを内服させ、更に点眼剤として、消炎のためサンテソン、鎮痛のためベノキシールを、それぞれ投与した。

被告は、その後も毎日入院中の原告に対し、角膜乾燥、感染の防止及び鎮痛のため、前記ワゼリン軟膏の塗布(二月一日以降はテトラサイクリン眼軟膏あるいはネオメトロールEE軟膏)、前記の注射剤、経口剤及び点眼剤の投与(点眼剤については更にエコリシン、クロロマイセチン、ペニシリン)のほか、ホーサン水による洗眼を継続して行つた。

5  原告は、手術後二時間位で左眼痛を覚えはじめ、前記消炎鎮痛剤のほか頓服の投与を受けたが痛みが治まらず、一月三〇日から三一日にかけて角膜乾燥状態になつて微細な角膜上皮剥離が起こり、更に二月二日には角膜混濁が強まり兎眼性角膜炎が発生したので、被告は抜糸したが、原告の右角膜混濁状態が治癒せず、同月六日にかけて更に右状態が悪化した。その間において被告は、コーチゾン、ペニシリン、エコリシン等の点眼剤を頻回にわたり投与し、テトラサイクリン眼軟膏を塗布し、ホーサン水で洗眼するなどしたが、ほぼ従前どおりの投薬治療を施すにとどまつた。なお、原告は、洗眼の際に被告に眼痛を訴えると「あなたは神経質だね。」などと言われ、また眼痛とともに視力の衰えも感じてその旨被告に訴えても、「一時は視力は衰えるけれども、必ず回復するから心配いらない。」などと言われたため、右眼痛なども手術に伴う一時的なものであろうと考えてひたすら我慢していた。

すると、同月七日になると角膜混濁が軽快し、眼痛も和らいだので、被告は、注射剤のリンコシン、デキサシエロソンの投与をやめ、経口剤のエリスロマイシン及びヨーレチンとハイコバール(消炎強壮剤)の投与、サンテソン、エコリシン等の点眼剤の投与、テトラサイクリン眼軟膏の塗布を行い、更に同月九日には内服薬のエリスロマイシンに代えてプレトニゾロンを投与した。

6  ところが、同月一一日になると、原告は再び眼痛を訴えるようになり、被告による診察の結果、眼脂多量となり角膜に膿汁が付着しているのが認められたので、再び同月六日以前と同様の投薬治療を施した(点眼剤は、一三日頃からは専らエコリシンを投与した。)が、その後も特に症状に変化がなかつた。

7  被告は、同月一二日頃には、原告の眼脂が多量になり眼球結膜が浮腫状になつて炎症が強くなつていたことから、原告の左眼角膜に何か悪い細菌が感染したのではないかとの疑いを抱いたが、緑膿菌感染については、これまでその臨床経験がなく、また眼脂の色が従前と同じく白黄色であり、かつ無臭であつたことから、全く疑わず、緑膿菌感染を念頭においた抗生剤の全身投与や結膜下注射による局所投与を全く行わず、その後も依然として従前同様の投薬治療を繰り返した。

8  原告の症状は、同月一四日になつても回復の兆しがなかつたため、被告は、感染防止のための注射剤をクロロマイセチン、ペニシリンG二〇万単位に変える一方、同月一五日に細菌検査のため、原告の眼脂を臨床検査センターに送付した。

その後も原告の症状は悪化の一途をたどり、同月一六日には角膜全面が化膿し、同日午後九時頃には洗眼中に角膜下方が穿孔したので、被告は、これに対しクロロマイセチンのほかリンコシンの注射を施したが、翌一七日、原告の左眼角膜下縁が隆起して穿孔するに至つた。

9  被告は、同日、臨床検査センターから、細菌検査の結果、原告の眼脂から緑膿菌(グラム陰性桿菌)が検出された旨の回答を得、これにより初めて原告の前記症状が緑膿菌の感染によるものであることを知り、直ちに自ら文献を調べて、原告に対し、その対症療法としてパニマイシン、ゲンタマイシンの注射剤及びカネンドマイシンの点眼剤による抗生剤の投与を施すとともに、これまで緑膿菌に関する臨床経験が皆無であつたため、人的物的設備にすぐれている鹿児島大学医学部付属病院眼科への転院を考え、原告の承諾を得たうえ、翌一八日午前九時頃、原告を伴つて同病院に入院させ、同病院医師藤田晋吾(以下「藤田医師」という。)の診察を受けさせた。

10  藤田医師は、診察の結果及び被告からの報告等により原告の左眼の病名を緑膿菌感染に起因する(一)兎眼 (二)角膜ぶどう腫 (三)角膜膿瘍 (四)全眼球炎 (五)角膜穿孔と診断したが、その時点での原告の左眼の視力はいわゆる眼前手動(眼前で手を動かすとやつと手の動いていることがわかる程度)であつた。

藤田医師は、診察後直ちに抗生剤のゲンタマイシン四〇ミリグラム及び止血剤のレプチラーゼS、アドナを注射するとともに、左眼に角膜切開術を施行し、その前後を通じてコリマイC、カネンドマイシン(点眼性抗生剤)、エコリシン(軟膏)の眼局所投与を行い、また手術後毎日スルペニシリンナトリウム一グラム、ゲンタマイシン四〇ミリグラム(二月二六日以降はパニマイシン五〇ミリグラム)の抗緑膿菌性抗生剤の注射による全身投与、更にはレダマイシン、ケクレックス(抗生剤)、プロクターゼP、バリターゼ、オーラル(消炎酵素製剤)、ビタメジン(複合ビタミン製剤)の全身投与を強力に行い、同月二八日再度左眼にゼーミッシュ切開術を施した。

同日頃から原告の角膜膿瘍の黄色調がうすくなり、角膜浮腫等の症状が軽減しはじめ、炎症症状が消失したので、原告は、同年三月三一日軽快退院したが、その視力は回復せず、依然として眼前手動という社会的には失明と同視し得るまでに落ち込み、また瞳部分の角膜が白濁するという醜状を残した。

11  原告の左眼に緑膿菌が感染した時期は、緑膿菌を含め細菌性角膜潰瘍が感染後三日以内に発症すると考えられるところから、眼脂が多量となり角膜に膿汁が多量に付着していた二月一一日の三日前である同月八日頃と推測される。

12  原告は、その後も一週間に二回位の割合で約一〇か月間同病院での通院治療を受けたが、昭和五一年一月一七日左眼に激しい疼痛を自覚し、同月一九日同病院で診察を受けたところ、左眼続発性緑内障と診断され、通院治療を継続したが軽快しないため、二月二五日から三月一四日まで同病院に入院した。

続発性緑内障が起こつた理由は、前記症病により角膜の炎症症状が強く虹彩にも炎症状態が及んでいたため、虹彩が角膜の裏側に癒着し、それによつて眼内の水を眼外に導く細い通路が閉塞され、眼圧が高くなつたためであつた。

原告はその後も約一か月位通院治療を続けていたが、更にその頃開業医の川畑隼夫医師の診察を受けたところ左眼の上三分の二に角膜ぶどう腫を生じて眼球が突出し、眼圧が上昇して角膜の厚みが三分の一程度に薄くなつていたため、同年五月一一日更に緑内障手術を受け、角膜を切除した。

更に原告は、その後も左眼の治療のため二週間に約一回の割合で同医師の許に通院して治療を受け、昭和六〇年一二月に至るまでこれを継続したが、その後も症状は完治せず、時折涙が出たり目やにが出たりするなどの症状を起こすことがある。

三<証拠>によれば次の各事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(緑膿菌性角膜潰瘍に関する医学上の知見)

1  緑膿菌は、グラム陰性桿菌であり、正常人でも糞便、喀痰あるいは身体各部にもその部位によつては常在菌として存在するものであつて、通常は弱毒菌であつて、その感染頻度が低いが、患者側の全身もしくは感染部位の状態が悪いときは感染を起こすことがあり、また強毒菌で感染を起こしやすい場合もある。

緑膿菌感染による眼化膿症として従来報告されているものには、眼瞼壊疽、眼瞼膿瘍、穿孔性外傷後の全眼球炎、眼窩蜂窩織炎、眼手術後感染(とくに緑内障管錐術後の後発感染、プロンベ縫着網膜剥離手術後感染等)及び転移性眼炎等があるが、日常最もしばしばみられるのは、本件において原告が罹患した緑膿菌性角膜潰瘍である(以下「本症」という。)。

2  本症は、一八九一年に外国で初めて報告された眼疾患であり、日本においては大正二年に症例報告がなされて以来次第に増加し、昭和三六年から昭和三八年にかけては毎年七ないし一九例であつたものが昭和三九年に至つて急速に増加して四九例の報告がなされ、その後はほぼ同様の発生頻度で推移している。

3  本症の治療法は、化学療法時代以前には殆んど皆無に等しく予後は極めて不良で失明するものが多かつた。その後、化学療法の有効性が報告され、日本においても昭和三〇年に長谷川信六、広辻逸郎らによつてコリスチンの有効性が実証されてから本症の治療に変革がもたらされ、以来、ゲンタマイシン、カスガマイシンなどの新抗生剤が登場して本症の治療が更に有利になり、治療開始の時期、選択薬剤、投与方法を誤らない限り、本症の予後は著しく改善された。

4  本症の診断には特に誘因が重要である。本症の大部分が角膜外傷、ことに角膜異物によるもので、発症者の九〇パーセントが発症前にフルオレスチン液による検査を受けていたとの報告もある。フルオレスチン液は緑膿菌で汚染され易いもので、その他の点眼液も汚染される機会が十分にあることがその原因であると考えられている。角膜異物の例としては、コンタクトレンズの使用やグラインダー鉄粉によるものが報告されている。

5  本症は、緑膿菌感染後一ないし三日で発症し、早期に角膜浸潤が起こり、急速に全角膜層に拡がり潰瘍化してタンパク質分解酵素により全角膜基質が破壊される。大部分が前房蓄膿を伴い、輪状膿瘍となつて穿孔し失明に至ることが多い。潰瘍は中心部のことが多いが、周辺部のこともあり、潰瘍底に膿が付着して結膜内蓋部や瞼縁に緑色膿をみることがしばしばである。このように本症は、発症後きわめて急速に症状が進行することが特徴とされ、失明という重大な結果をもたらすものであり、かつ、治療開始は早いほどその治療効果がすぐれており予後の視力も良好であることから、本症の治療は、発症後できるだけ早期に開始することがきわめて重要である。

本症の自覚的症状は、早期から眼痛がはなはだしいほか、視力障害、流涙、羞明、頭痛、ときに悪心、嘔吐であり、他覚的症状としては、眼圧上昇、眼瞼浮腫、眼瞼腫脹、結膜浮腫、結膜充血、周擁充血のほか、角膜浮腫による混濁がある。

6  緑膿菌の予防措置としては、エコリシンやコリマイCの点眼、テトラサイクリン眼軟膏の塗布、カネンドマイシン、パニマイシン、ゲンタマイシン、トプラマイシン、カルペニシリン、コリスチンの注射による全身投与、ミノサイクリンやコリスチンの内服等、主として抗生物質の投与による方法が有効とされている。

7  本症が発症した場合、抗生物質の点眼のみで治癒させることは不可能で、点眼のほか強力な抗生物質の全身投与と結膜下注射の併用が絶対に必要とされている。薬剤としては、ゲンタマイシン、デオキシカナマイシンB、コリスチン、ポリミキシンB等が最初に選択すべきもので、菌株によりカスガマイシン、カーペニシリンなども用いられる。これらの薬剤の効果は、患者側の条件、菌側の因子により異なるが、一般に抗菌力のすぐれている薬剤が有利であるとされている。

(眼瞼下垂手術の施行と緑膿菌の感染)

ところで、細菌性角膜潰瘍のうちでも従来は肺炎球菌による匐行性角膜潰瘍がその大部分を占めていたが、昭和五〇年頃には抗生物質使用等の化学療法の発達に伴い、いわゆる菌交代現象によつて肺炎球菌が激減し、代わつて緑膿菌が増加し、その結果菌交代症として本症も増えつつあつた。もつとも、右当時における細菌性角膜潰瘍の主流は黄色ぶどう球菌性の角膜潰瘍であつて、本症の発症例は、当時全国でもせいぜい数十例を数えるにとどまつていた。

そして、眼瞼下垂手術を施行すると、上眼瞼を長時間持ち上げて角膜を露出させるので、兎眼状態になつて角膜が乾燥し、その結果兎眼性角膜炎を発症してその角膜上皮が剥離するため、緑膿菌等の細菌感染を起こしやすいとされている。

(被告の採つた細菌感染予防措置とその効果)

前記のとおり、昭和五〇年頃における細菌性角膜潰瘍の原因菌は、主として黄色ぶどう球菌及び緑膿菌であつたところ、当時右二つの原因菌双方に対して有効な薬剤とされていたのは、点眼性抗生剤としては、エコリシン、コリマイC、眼軟膏としてはテトラサイクリン、注射による全身投与剤としては、アミノ配糖体(カネンドマイシン、パニマイシン、ゲンタマイシン、トプラマイシン)、ペニシリン系のカルペニシリン、コリスチン、経口剤では、ミノサイクリン、コリスチンのみであつた。

このうち被告が使用した薬剤は、テトラサイクリン眼軟膏及びエコシリンの点眼のみであるが、被告が使用したそれ以外の薬剤のうちエリスロマイシン、クロラムフェニコールの内服、ペニシリンとリンコシンの注射は、黄色ぶどう球菌に対しては有効であるが緑膿菌に対しては無効であり、プレドニゾロンの内服やサンテソンの点眼(いずれも副腎皮質ステロイド剤)は、消炎には有効であるものの、その多用により真菌による感染症を助長するという意味で細菌感染に関してはむしろ逆効果であつた。

また、前記のとおり、本症が発症したのは二月一一日であると考えられるところ、その前後において被告が投与した薬剤のうち緑膿菌に有効であつたのはテトラサイクリン眼軟膏の塗布及びエコリシンの点眼のみであつたが、これとても緑膿菌の感染を予防するのに有効であるに過ぎず、一旦感染が起こり本症が発症した場合には、右薬剤のみでこれを治癒させることはまず不可能であつて、これらのほか、強力な抗生剤すなわちカネンドマイシン、パニマイシン等のアミノ配糖体の全身投与及びコリスチンなどによる結膜下注射などの治療が不可欠である。被告が右時点において施した抗生剤の全身投与は、黄色ぶどう球菌の感染を前提にしたものとしては当を得ていたが、緑膿菌の感染を前提にしたものとしては無意味であつた。

(本症の症状の進行とその治療法)

前記の対緑膿菌用抗生剤の全身及び局所投与は、本症の進度が角膜の上皮剥離のみである初期の場合には、本症の悪化を防止することができ、更に角膜に浸潤がみられても、まだ輪状膿瘍や前房蓄膿(以下一括して「輪状膿瘍等」という。)が発生していない場合であれば、うすい角膜片雲を残す程度で治癒させることは可能であり、かなりの視力を回復することができる。しかし、角膜に輪状膿瘍等が出現している場合には、抗生剤療法が効を奏したとしても角膜白斑が残り、このため視力回復は十分でない。

本症が発症後急速にその症状を進行させ、輪状膿瘍等を形成するに至ることから、本症の発症後できるだけ早期に適切な治療を施すべきことは、前記のとおりであるが、更に加えて、治療開始二四時間後に症状の著しい改善がみられないときには、直ちに薬剤の変更を行うことが重要であるとされる。

(本症の確認時期と治療との関係)

ところで、通常の眼科開業医が当該細菌性角膜潰瘍を緑膿菌によるものであると確認しうる時期は、兎眼性角膜炎が発生したときに結膜嚢の細菌検査を行つて緑膿菌を検出したときである。しかし、通常の開業医が自ら細菌を検査することは不可能であり、本件のように、臨床検査センター等に試料を持参してその判定をしてもらうこととなる場合が殆んどであるところ、右検査依頼によつて菌培養により原因菌の判明するのは早くて七二時間後であり、その間に症状が急速に進行して輪状膿瘍等を出現させ、失明に至る危険性がきわめて大きい。したがつて、眼科開業医としては、患者の症状等により緑膿菌の感染が疑われる場合、菌検出以前に、抗生物質の投与等の治療措置を一応採つておかなければ、手遅れとなる可能性が高い。

四被告の責任原因

1  緑膿菌は、通常は弱毒菌であるが、眼瞼下垂手術を施行すると、上眼瞼を長時間持ち上げて角膜を露出させるので、角膜乾燥により兎眼性角膜炎が発症し角膜の上皮が剥離するため、緑膿菌等の細菌感染を起こしやすくなる。そして、本症の発症時期が眼脂が多量となり角膜に膿汁が多量に付着していた二月一一日頃であり、その原因となつた緑膿菌感染の時期がその三日前である同月八日頃と推測されることは前記のとおりである。したがつて、このことから考えると、本件において原告が本症に罹患したのは、被告が原告に対して施した左上眼瞼下垂手術により原告の左眼角膜が長時間にわたり外界に露出させられたため間もなく兎眼性角膜炎を発症し、このため左眼角膜に上皮剥離が起こり、右上皮剥離部分から緑膿菌が感染したことによると認めるのが相当である。

2  細菌性角膜潰瘍の原因菌としては、化学療法の発達に伴う菌交代現象により、昭和五〇年頃には緑膿菌が増加していたものである。そして、前記のとおり、眼瞼下垂手術を施行すると兎眼性角膜炎を起こし、細菌感染を起こす危険性が高いのであるから、眼科開業医としては、右手術を施行するに際し、テトラサイクリン眼軟膏やエコリシン点眼剤等の局所投与など黄色ぶどう球菌のほか緑膿菌に対しても有効な感染予防措置をとるべき注意義務があることはいうまでもない。これを本件についてみると、被告は、右手術を施行する前においては手術に使用する器材等を煮沸などの方法により消毒したのみで、特に緑膿菌を予防するための抗生剤の投与を行つていないが、手術施行後緑膿菌の感染時期と思われる二月八日までの間、感染予防のためのテトラサイクリン眼軟膏及びエコリシン点眼剤の投与を継続的に行つており、かつ、右各薬剤は当時において緑膿菌の感染予防のために一応有効であつたことが認められるから、被告の手術後においてとつた感染予防措置は、結果的に原告の緑膿菌感染を防止しえなかつたとはいえ、平均的な眼科医としての注意義務に欠けるところはなかつたといわざるを得ない。

3  しかしながら、右のとおり原告の左眼角膜は、上眼瞼下垂手術により細菌感染を起こしやすくなつていたことに加え、その後の症状の経過をみても、原告は手術直後から継続的に激しい眼痛を訴え(更に間もなく視力低下をも訴えていた。)、手術翌日の一月三〇日から角膜乾燥状態になつて微細な角膜上皮剥離を起こし、二月二日から同月六日にかけて角膜混濁が強まり、同月七日から同月一〇日頃までは小康状態を保つたものの、同月一一日には再び眼痛を覚えるとともに眼脂多量となり角膜に膿汁が付着するなど細菌性角膜潰瘍の症状を呈するに至つたものであるところ、被告は、原告の主治医として入院中の原告を継続的に診察してその経過を逐一観察しており、かつ、手術直後から眼痛や視力低下を覚える旨の愁訴を聴取していたのであるから、遅くとも本症発症時である二月一一日には原告が本症を含む何らかの細菌性角膜潰瘍に罹患したことを容易に知り得たものというべきである。もつとも、この時点では右細菌性角膜潰瘍の原因菌がいずれであるかはいまだ確定できないうえ、当時においてその原因菌として大勢を占めていたのは黄色ぶどう球菌であり、緑膿菌による発症例は少なかつたものであるけれども、当時においても本症は、その約一〇年前から急激な増加をみていたものであつて、しかも、ひとたび本症が発症するやきわめて急速にその症状を悪化させ、輪状膿瘍等を出現させて穿孔し、失明に至る危険性がきわめて高く最低七二時間を要する菌培養による原因菌の確定を待つてこれに即応する治療行為を施すとすれば、その間に症状が著しく進行し失明に至つてしまう虞れがあるのであるから、被告としては、原告が明らかに罹患していると認められる何らかの細菌性角膜潰瘍の原因菌が細菌検査により確定的に判明するのを待つまでもなく、これが緑膿菌であるかも知れないことを予見し、本症発症後できるだけ速やかに黄色ぶどう球菌に有効な治療と併わせて緑膿菌に対しても有効な治療行為を行うべき注意義務があつたものといわなければならない。そして、その治療行為の内容としては、前記テトラサイクリン眼軟膏及びエコリシン点眼剤の投与は緑膿菌の感染予防には有効であるものの、これのみでは一旦発生した本症を治癒させることはまず不可能なのであるから、本症の進行により原告の左眼角膜に輪状膿瘍等が出現することを阻止するため、強力な抗生剤すなわちカネンドマイシン、パニマイシン等のアミノ配糖体の全身投与及びコリスチンなどによる結膜下注射を強力に施すことが必要であつたというべきである。

ところが、被告は、二月一一日に原告の左眼角膜が細菌性角膜潰瘍の症状を呈するに至つても、これが緑膿菌感染によるものであることを全く疑わず、対緑膿菌用抗生剤としてはその感染防止に有効であるに過ぎない前記テトラサイクリン眼軟膏及びエコリシン点眼剤の各投与を継続的に行つたのみで、その他はせいぜい黄色ぶどう球菌に対して有効とされる抗生剤の全身投与を行つたに過ぎず、本症発症後にその症状の進行を阻止し視力を回復させるのに有効なカネンドマイシン等のアミノ配糖体の全身投与及びコリスチンなどによる結膜下注射の施行を全く行わなかつたのであるから、この点において過失があり、右被告の過失により、原告の左眼視力を殆んど失わせるとともに瞳部分の角膜を真白に混濁させるに至らせたものであるから、これによつて原告が被つた後記損害を賠償すべき責任があるというべきである。

4 被告は、二月一一日の時点で直ちに臨床検査センターに細菌検査を依頼しなかつたことや同月一三日ないし一四日の時点で緑膿菌感染を疑つてその対症療法をとらなかつた点に過失があるとしても、原告の失明は免れなかつたものであるから、右過失と原告の失明との間には因果関係がない旨主張するが、当裁判所は、前記のとおり二月一一日の時点において、被告が緑膿菌感染を疑わず、有効な対緑膿菌用抗生剤を投与しなかつたことを被告の過失であると判断するものであるから、被告の右主張はそれ自体失当であり、また前記三のとおり本症は、角膜に輪状膿瘍等が発生した段階に達した場合には、抗生剤を投与しても視力回復が十分ではないが、<証拠>によると診療録の二月一一日の項に輪状膿瘍等に関する記述が全くないことが認められ、また本件全証拠によつても二月一一日の時点で輪状膿瘍等が発生したことを認めることができないから、右時点において有効な対緑膿菌用抗生剤を投与しておれば、失明を免れることができたものと考えられ、被告の過失と原告の失明との間には因果関係があるものというべきである。

五損害について

1  逸失利益

前記二で認定した事実に<証拠>を総合すると、原告は、本件医療事故当時満三〇歳の健康な女性で財団法人三船病院に准看護婦として稼働し、昭和四九年には金一〇一万八四六四円の年収を得ていたこと、原告の左眼視力は、本件医療事故前には一・二であつたが、右事故により、その直後においても眼前手動という社会的に失明と同視しうるほどに落ち込み、間もなく完全に失明して現在は義眼を使用していること、原告は、昭和五〇年三月三一日に鹿児島大学医学部付属病院を退院した後も、たびたび本症による角膜の炎症に起因する続発性緑内障に罹患し、激しい眼痛を覚えて、同病院及び川畑眼科病院に入院して二回にわたり手術を受け、そのため勤務先への長期欠勤が重なつたことを一因として昭和五二年三月に三船病院を退職したこと、原告は、その後別の病院に再就職して昭和六〇年一一月まで稼働し、その後は生命保険会社の外交員として稼働していることが認められ、更に一眼が失明した場合は、自動車損害賠償保障法施行令別表(後遺障害別等級表)の第八級に該当し、かつ、労働基準局長通牒による労働能力喪失率表によれば右八級に該当する者の労働能力喪失率は四五パーセントであるとされていることを参酌すると、本件における原告の左眼失明による労働能力喪失率は、四〇パーセントとみるのが相当である。そして原告は、本件医療事故当時の満三〇歳から満六七歳までの三七年間稼働し得るものと認められるから、これに従つて原告の将来の逸失利益をライプニッツ計数表を用いて算出すると、六八〇万七八二〇円となる。

計算式 一〇一万八四六四円×〇・四〇×一六・七一一=六八〇万七八二〇円

2  慰藉料

本件における原告の後遺障害の部位、程度、その後の通院加療状況及び被告の過失の態様、程度等諸般の事情を考慮すると、原告の慰藉料額は、三〇〇万円とするのが相当である。

六結論

よつて、原告の本件請求は、被告に対し金九八〇万七八二〇円及びこれに対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五〇年一二月二八日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官下村浩藏 裁判官法常格 裁判官田中俊次)

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